華麗なる海外逃亡記

1年半、41ヶ国にも及ぶ(現在進行形)、自分のバックパッカーとしての記録を記した雑記です。

第4話 野生 ~まだ見ぬ食事と作法~

 夕方頃にアンディと別れ、ドバイモールをあとにした私が向かったのは、ブルジュ・ハリファである。ブルジュ・ハリファとは面白い建物なもので、どこからでも(飛行機からでさえも)見えるような建物なのだが、そこに到達することは容易ではない。実際に、アンディとドバイモールを散策していた時に、すぐそこに見えるから行ってみようとなったのだが、駐車場や自動車専用道路、高級ホテルなどに阻まれて、断念したのである。1人になった私は、Googleマップという文明の利器を使い、ブルジュ・ハリファへの接近を試みた。しかし、ここには落とし穴があったのだ。というのも、ブルジュ・ハリファに観光客が登る際(要予約)の入口は、ドバイモールの地下にあり、Googleマップで案内される入口は、あくまでも住人用の入口なのである。そう、ブルジュ・ハリファには実際に資本主義社会の勝者達が住み着いているのである(日本では与沢翼などが有名)。そうして、Googleマップに案内されたところで、何の変哲もない住人用入口に行き着いただけであり、私はとりあえず写真撮影を済ませ、駐車場から出てくるフェラーリを恨めしそうに眺めたところで、次の目的地に向かうこにとした。

 

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ブルジュ・ハリファの住人用入口


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真下から見上げたブルジュ・ハリファ

 

 次の目的地は、ドバイ・オペラとドバイ・ファウンテンである。この2箇所はほぼ隣接していると言っていいところにある。まずはドバイ・オペラであるが、ここも接近しようとした時に1度工事現場に阻まれた。そしてやっと着いたと思い、私の目に飛び込んできた姿は、特徴的な形はしているものの、特に何もない変な建物だった。しかし、ひとつだけ印象的だったのは、日本においては不良がコンビニの前にたむろするのが日常の光景なのに対して、このリッチな国では、ドバイ・オペラの前でたむろする学生を見られたということである。

 

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行く手を阻まれた工事現場

 

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ドバイ・オペラの入口でたむろする地元の学生

 

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ドバイオペラ全体像(別日に撮影)

 

 そして、ドバイオペラのすぐ近くにある、ドバイ・ファウンテンのショーの観賞をするため、そこに向かった。ショーは毎日、昼の3回と18時から23時までの30分おきにあるのだ。ショーの観賞場所は様々あるのだが、初めてということもあり、私は比較的一般的な場所から観賞することにした。そして、初めてのショーが始まった。音楽と共に巨大な噴水が空中に舞う。それは圧巻であった。しかし何かが物足りない。そう、ライトアップである。5月のドバイでは、夕方とはいえまだ明るいので、ライトアップされたドバイ・ファウンテンのショーを見るには、1時間以上も待つ必要があった。幸い私は、暇人なので、ただひたすら周りに目を向けることで気を紛らわせながら、長時間その場で待ち続けた。サッカーをプレーする親子。謎のうるさい汽車(子ども用遊具?)。極めてエレガントな女の人の写真撮影。そして、30分に1度は来る噴水ショー。そして、噴水ショーを見飽きた頃には暗くなり、遂にライトアップされたショーが始まった。それは先程までとは大きく異なり、長時間待ったということによるバイアスもあってか、非常に壮大かつ美しいショーだった。そしてそれがとても気に入った私は、以降ドバイ滞在中にその辺りに足を運ぶ度に、様々な観賞ポイントからそれを鑑賞するという、ドバイ・ファウンテンガチ勢へと目覚めたのである。

 

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やたらエレガントな女性を思わず盗撮


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ドバイファウンテンのショーの観賞スポット


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謎のうるさい汽車

 

 ドバイ・ファウンテンのショーを一通り見終えた私は、内容の非常に濃かった1日目の疲れを癒すため、ホテルに戻ろうとアル・リッガの駅に向かった。駅に着いた私は、丁度夕食どきということもあり、何か美味しくて安い店を探そうとした。しかし、そのあてがない。もちろんGoogleを使えば簡単なのだが、それでは面白くない。というわけで、地元の人に聞いて見ることにした。道行く人々の中から、目に付いた1人の男に美味しくて安い店を尋ねた。すると彼は、「東アジア人だから米が好きだろ?じゃあ、あそこのビリヤニ屋がオススメだよ」と偏見にまみれたリコメンドとともに(実際に米はとても好きではあるが)、私を店まで案内してくれた。店に案内された私は、旅に出る前から噂で聞いていたパキスタン料理、ビリヤニの味に興味があった。そこで私は、シンプルなチキンビリヤニを注文することにした。驚いたことに、その価格はなんと日本円で約600円。極東の島国から来た乞食も大喜びの価格である。ドバイは外食の物価がとても高いと聞いていたので、非常に驚いた。そして、出てきたその料理は運命の出会いであった。それまであまり食べたことのなかったタイ米は、元々米は少し硬い方が好きな私の好みに非常にマッチし、またタイ米はスパイスと合わせると、非常に良い香りを放つということもあり、極めてエスニックな味を感じられる美味であった。それと共に、全く何の盛りつけの工夫をされるわけでもなくデカデカと乗っけられたチキンを頬張ると、そこはもう天国であった。また、元々ある程度スパイシーなビリヤニをさらにスパイシーかつフレッシュにするために添えられた、トマトとチリのソースを合わせると、本当に今でも忘れられないほど美味なひと品となった。ちなみに、後に日本に帰国してから、インドカレー料理店にてビリヤニを食べたのだが、あれはビリヤニと名乗ることを許されるべきではない、ただのカレーピラフであった。そう、日本にはビリヤニを名乗ることが許されるような1品は少なく、ほとんどがただのカレーピラフなのである。そんな中、ビリヤニを頬張る私の前にある男が現れた。「ここ座っていい?」その男は、私にそう聞いて相席をしてきたのである。極めて海外な文化を感じた瞬間だ。その男は、これまたその日の朝にであった男(ロイ)と同じ、フィリピン人の出稼ぎ労働者であった。その男と話しながら、食事を進める私であったが、その男はこう言った。「なんでスプーン使ってるの?こういうのは手で食べるのが地元スタイルだよ」非常にワイルドかつ、不衛生ではあるが、郷に入っては郷に従えということで、私は彼と同様、手を使ってビリヤニを頬張った。手でメインディッシュを食べたのは、私が小学生の時に、小学校での特別授業としてサニー・フランシスとかいうインド人の料理人がカレー作りを教えに来た時に、文化体験の一環で熱々のカレーを手で食べるという、リアクション芸人さながらの食事をして以来であった。また、ここで衝撃の事実が彼から知らされた。そのビリヤニ屋では、ビリヤニのおかわりが無料でし放題であるのだという。つまり、約600円で食べ放題。しかし残念ながら、日本出国前に食べてきた大量の不味いラーメン、エミレーツ航空の圧倒的ホスピタリティ、アンディと食べた謎のオープンハンバーガーなどのダメージが残っており、基本的には大食らいの私でも、1杯で満腹になってしまった。そんな私を嘲笑うかのように、彼は空腹だと言い放ち、結局3杯のビリヤニを平らげて去っていった。3杯目を注文する時に彼は、「お前の分を俺が注文するよ。」とか、「俺は腹減ってんだ。すまんなー。」などと訳の分からないことを言っていた。

 

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絶品の600円食べ放題ビリヤニ

 

そんなこんながありながら、ホテルに戻った私は、思いの外綺麗な部屋に驚きながらも、疲れがあったこともあり、すぐにシャワーを浴びることにした。しかしここで事件が発生。この先、バックパッカー人生を歩む中で、しばしば直面するその問題。それは、シャワーの温度調節が極めて難しいという問題である。2つの蛇口があり、熱い方と冷たい方がある。このふたつを絶妙な位置に持ってこないと、ちょうどいい温度にはならないのだが、このシャワーにはさらなる欠陥があった。というのも、このシャワーは、温度が高くなればなるほど、水圧がよわくなるのである。ちょうどいい温度だけでなく、水圧とのバランスを考える必要があったのである。誇張なしに十数分格闘した末、遂にシャワーを浴びた。そうしてシャワーを浴び終えた私は、疲労から倒れるように眠ってしまった。時差の影響もあり、この日の朝方に大学のオンライン授業があったのだが、そんなものに参加出来るわけもなく、次の日の朝(と昼の間ぐらい)まで完全に睡眠学習をしていた(訳:爆睡してて授業飛んだ)。

 2日目、アンディと待ち合わせをしてとある場所に向かった私を待っていたものとは......

 

次回、大昔の旅人の足跡を追って

                                                      to be continued.....