華麗なる海外逃亡記

1年半、41ヶ国にも及ぶ(現在進行形)、自分のバックパッカーとしての記録を記した雑記です。

第14話 沈没 ~サラエヴォでの長い日々の始まり~

 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエヴォでの観光を始めた私は、まず宿の目の前にある川沿いをラテン橋まで歩くことにした。その日は天気も良く、初めてのヨーロッパの街並みの中、美しい川沿いを歩いた。サラエヴォは面白い街であり、ヨーロピアンな街並みのエリアと、オスマン帝国時代から続く、イスラム調のトルコ的街並みが入り交じっている。

 

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川沿いから撮った風景


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川沿いにある謎の施設

 

そして、しばらくヨーロピアンな街並みの中、川沿いを歩くと、ついにラテン橋に到着。ラテン橋とは、第一次世界大戦の発端となったサラエヴォ事件の舞台となった橋である。世界を巻き込む大戦争が始まるきっかけとなった場所なので、空気が重いのかと思えば、街の中心街の橋ということもあり、若者などが行き交う活気ある場所であった。そんな日常に溶け込んでいる様子から、意識をしなければ、全くもって事件を連想することはないのだが、それ故にある種のリアルさを感じた。というのも、日常に溶け込んでいる「その場所」がいつ戦場になってもおかしくないという「戦争のリアル」を感じたのである。もちろん、そんな事件を風化させないために、橋にはサラエヴォ事件に関する解説が書かれたものがある。また、そこで私は別の重大なことを感じた。それは、ドバイでは全く見かけることがなかった物乞いがいたのである。その老婦人は橋の上で物乞いを行っていた。そうだ、ドバイに行って忘れてたが、この世にある不条理、格差といったものは確かに存在するのである。

 

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ラテン橋

 

 ラテン橋からしばらく歩き、市街地の方向に向かうと、旧市街が見えてきた。そこは、トルコ風の街並みが残されているエリアで、いくつかのモスクがある。また、石畳が敷かれたそのエリアには、小さなお店が数多く軒を連ねており、ヨーロッパにいることを忘れるような街並みになっている(ヨーロッパを忘れるには早すぎたが)。そして、そんな中でも一際目を引くのは、サラエヴォ観光の目玉であるバシュチャルシア広場である。鳩の数が尋常ではないこの広場には、モスクや水飲み場、たくさんのお店など、これといって何があるわけではないが、色んなものが混在している。

 

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ひとつのモスク


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バシュチャルシア広場


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旧市街のお土産屋さん


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ふぜぇな店ども

 

そうしてトルコ風の街並みをしばらく歩くと、あるポイントから急にヨーロピアンな街並みになる。そのエリアに差し掛かると、大聖堂をはじめとしたオーストリア・ハンガリー帝国に強く影響された建物が増える。また、そのエリアの綺麗な公園には巨大なチェス盤(?)があり、御年寄達がチェス楽しんでいて、サラエヴォの過去からは想像出来ないほどの平和を強く感じる場所であった。

 

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トルコ風味とヨーロピアン風味の中間


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ヨーロピアン公園


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バカデカチェス盤(?)を楽しむご老人達


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大聖堂

 

 しばらく散策を終えると、初ヨーロッパでテンションが上がっていたこともあり、全く需要のないインスタライブを開始した。すると、後日会う予定だったボスニア・ヘルツェゴビナの友人(会いに行った時の話は後日挙げます)がライブを視聴してくれた。彼女は現在、トラヴニクという街の郊外の村に住んでいるのだが、学生時代にはサラエヴォに通っていたため、サラエヴォについて非常に詳しい。そこで私が、昼ごはんを食べられる場所を聞いた。すると彼女は、BBIセンターというショッピングモールを紹介してくれた。そう、彼女には私の当時の状況を伝えておいたのだ。当時の私は、現金を持っておらず、クレジットカード払いのみが可能な状況だったのだが、サラエヴォの旧市街にはクレジットカード決済が可能なレストランがほとんど無いのである。それ故に、基本的に割高なため、本来はショッピングモールでの食事は避けたいのだが、致し方なくショッピングモールで昼食をとることにした。メインストリートをひたすらあるくと、どデカくBBIの文字が。ショッピングモールに入るやいなや、すぐ右にカフェがあった。そしてそれがまさかの、そのショッピングモールで唯一の飲食店だったため、そこに入ることに。色んなものがあったのだが、私はフライドチキンをチョイス。味はジャンキーながらも、シンプルで非常に美味しかった。

 

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オーダーしたフライドチキン

 

サラエヴォの中心街は極めてコンパクトにまとまっている為、私はその日の目的を既に果たしており、その後はひたすら行く先もなくブラブラすることになった。すると、ふと自分がサラエヴォにいるということを自覚させられる建物に遭遇。サラエヴォという街は、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦時に、激戦地となったこともあり、30年以上経っていても街の至る所にはそれを感じさせるものがある。例えば、スナイパーストリートと呼ばれる場所は、出歩いた瞬間にスナイパーに撃ち殺される場所だったのだが、現在1部のタイルが赤い血の柄にされている。それは、まさにそこで誰かが殺されたということを示しているのだ。また、生々しい銃痕が残った建物も多くある。

 

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壁に銃痕が残ったアパート(現役)

 

 平和に感謝しつつ、街を徘徊していると、いつしか夜に。夜にはもう1人のボスニアの友人と合流することになっていたので、彼と街を徘徊。サラエヴォ在住の彼でさえ、特に知る人ぞ知るおすすめの場所があるわけでもなく、ひたすら会話を交わしながら同じ場所を何度も何度も歩いた。彼は夕食を旧市街にて奢ってくれたのだが、メニューは前日と同じくチェバピに飲むヨーグルト。私はそれが好きなので、飽きることなく食べられた。

 

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サラエヴォ中心街の劇場


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夜のバシュチャルシア広場


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戦争系モニュメントの永遠の炎

 

 夜も更けたので、私は彼と別れ、帰宅。しかし、そのアパートにも生々しい銃痕が。しかも、築100年以上のため、エレベーターがなく、最上階まで階段で上がらないといけないのだが、どこを押せば電気が着くのかが分からず、真っ暗な階段をひたすら登ることに。部屋についても、電気がなく、鍵を開けるのに苦労した。その辺のお化け屋敷よりもよっぽど雰囲気がある、なかなかのアクティビティであった。そうして、部屋に着くと、シャワーを浴び、私は床に就いた。次の日、私を待ち受けていた様々な人々とは.......

 

次回、ボスニアの宝=人々

                                                     to be continued......