華麗なる海外逃亡記

1年半、41ヶ国にも及ぶ(現在進行形)、自分のバックパッカーとしての記録を記した雑記です。

第16話 貴重 ~静かなる美声~

 その日もまた例の3人のモロッコ人と共に時間を過ごしていた。まずは、中心街から少し離れた場所にある、落ち着いたカフェで彼らと合流した。私は因縁のトルココーヒーではなく、大人しくエスプレッソを嗜んだ。しかし、エスプレッソというものは、シルバニアファミリーのものかと思うぐらい、ものすごく小さいカップに入っており、ペース配分など知らないドリンクバー育ちの極東乞食は、一瞬で飲み干してしまった。それを見たムスタファは「エスプレッソというものはチビチビ時間をかけて飲むものだよ」と丁寧にご教授してくれた。とりあえず飲み干してしまったものは仕方ないので、水で間を持たせ、彼らとの会話を楽しんだ。そしてその後、私は彼ら3人がシェアハウスをしている自宅に招かれた。道中、彼らからはフランス語を教わったのだが、筆者は大のフランス語嫌い。挑戦したものの、その圧倒的難易度を前にして挫折した経験を持っているのである。そのエスプレッソよりも苦い経験を噛み締めながらも、彼らの家に到着。到着した私は、お茶を頂くことになった。しかし、これが事件の始まりであった。それはミントティーであった。このミントティー、歯磨き粉をお湯にぶち込んだような味がした。筆者は思わず噎せ返るも、オーディエンス共は爆笑。ボコボコにしてやろうかと思ったが、国際問題になりそうなのでやめておいた。お前らはサハラ砂漠に帰りやがれ。そして私を驚愕させる一言が飛び出した。「モロッコではこの倍濃いぞ」。お前らは歯磨き粉を飲み物かなんかと勘違いしてんのか?言葉を失った私は、気合いでミントティーを飲み干した。これで調子を狂わされた私は、普段なら絶対しないミスをしてしまった。彼らが動画を撮り始めたのだが、その内容は私が彼らに簡単な日本語を教えるという内容であった。しかし、記憶力が良すぎるあまりに、友人の記憶の外部メモリーと化してるレベルの私が、そのうち1人の名前を動画内で間違ってしまったのだ。非常に申し訳なかった。いや、あれはミントティーのせいである(他責)。

その後、夕方頃のお祈りに合わせて近くのモスクへ向かうことに。このモスクは中心街のモスクよりも小さなモスクではあったものの、それがまたローカル感を感じさせ、私は好感を覚えた。もう慣れたもので、私は当然かの如くお祈りを終えた。そして、彼らは控え室のような所に私を連れて行ってくれ、そこで体に悪そうな甘ったるいお菓子やコーヒーを出してくれた。そして彼らは、そのモスクを案内してくれた。まずは小さな小部屋。この小部屋は幼い頃の私であれば、絶対に家に欲しがったであろう、秘密基地的な場所であり、イスラム色の強い非常に面白い場所であった。

 

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僕の秘密基地その1


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僕の秘密基地その2

 

その後、彼らは先ほどお祈りをしたメインの場所に私を連れていった。そこは小さいモスクだったこともあり、声がよく響いた。そして、そんな場所でザカリアが貴重な体験をさせてくれた。ザカリアは普段からこのモスクでアザーンを担当しており、非常に綺麗な声を持っていた。彼はコーランの一部をその小さい部屋いっぱいに響く声で読み上げてくれた。神聖なモスクがより神聖に感じられ、非常に良い経験であった。その後、私たちはその部屋の各所で記念撮影。しかし、この撮影においても、とある体験をした。彼らはモスクのお偉いさんしか着用することが出来ないイスラム風特攻服(違う)を着せてくれ、ドラゴンボールのピッコロのような帽子を私に被せた。そして、説教台でお偉いさんの如くドヤ顔をキメ、写真撮影。非常に良い経験であった。

 

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当時の写真(ドヤ顔を隠蔽)

 

さらにその後、彼らは私を一般人立ち入り禁止ゾーンに連れていってくれた。そこはイスラム教徒でさえほとんど立ち入らない場所。そう、ミナレットの内部、及び上部である。ミナレットというのは、モスクに付随している塔のことである。私はそこを登り始めた。細くて急な螺旋階段。私は1番後ろから彼らについて行った。そしてこれは正解であった。最前列を行くザカリアが、蜘蛛の巣や蜘蛛にめちゃくちゃ苦戦しながら登っていることが悲痛な声から感じられた。最後尾ですら、ホコリや蜘蛛の糸に苦しめられているのだ。最前列は地獄であろう。何はともあれ、遂に頂上にたどり着き、狭い見晴台に出る。360度広がるサラエヴォの街に感動を覚える。サラエヴォには高い建物が少なく、夜景を楽しむ場所は少ないため、貴重であった。しかし、スグに問題に直面。照らされたライトに群がってきていた蚊の量が半端ではなく、記念撮影をして直ぐに撤退した。

 

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ミナレットから観るサラエヴォの夜景


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登ったミナレット

 

そこでモスクツアーは終了。私たちは夜ご飯をいただきに、ペカラ(現地の言葉でベーカリーのこと)に行き、ブレクを頬張った。最後に謎の公園で解散したのだが、この謎の公園には、戦車や戦闘機のプロペラなど、軍用車両関係の諸々が無造作に置かれていた。とりあえず記念撮影するも、非常に謎な場所であった。とはいえ、夜だったこともあり、なんとも言えない雰囲気が漂っており、ボスニア・ヘルツェゴビナという戦争とは深く結びついた土地独特の何かが感じられた。

 

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謎の軍用ジー


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都市伝説でおなじみのナチスの黄金列車(大嘘)


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プロペラだけなのが、かえって生々しい


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移動式砲台(?)


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小型戦車


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移動式砲台その2


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シンプル戦車

 

後日、私は様々な国の人々と共に、「絶対に行くことはないであろう」と思っていた場所に行くことに。私に起きた出来事とは......

 

次回、究極の禁酒野郎

                                                     to be continued......