華麗なる海外逃亡記

1年半、41ヶ国にも及ぶ(現在進行形)、自分のバックパッカーとしての記録を記した雑記です。

第19話 歓喜 ~沈没の終焉と旅の再開~

 サラエヴォですっかり沈没しきっていた私は、何もしないのではつまらないので、サラエヴォ市内の博物館や美術館を回ることにした。まずは、ラテン橋の近くにある第1次世界大戦関連の博物館。ここには第1次世界大戦時の様々な物があったのだが、意外と暗い雰囲気がなく、それもそのはず、戦争を感じさせる物品はほとんど無かったのだ。それ故に、何も知らずに行くと、ただの宮殿であった。

 

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外観もやはり宮殿である


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ホールにあるピアノ


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ホール天井


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当時のオーストリア皇太子夫妻の展示


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中央階段

 

次に、ボスニア内戦に関する博物館に行ったのだが、写真は無い。理由としては、写真として残したいものがなく、非常に鬱蒼とした気持ちになる、非常に不気味な雰囲気の博物館だったからである。とはいえ、行ったことに意義は感じている。学ぶべきものを学んだという感じである。そうした鬱蒼とした感情を払拭すべく、次に選んだのはトリックアートミュージアム。様々な展示を楽しんでいると、少しずつ気持ち悪くなってきた。しまいには、段差に躓いてでかい音を立ててしまい、家族連れの客に笑われてしまった。さらに、全体的に誰かと協力して面白い写真を撮ることを前提としたレイアウトの美術館だったため、極東ぼっちにはかなり不向きな場所であった。鬱蒼な気持ちは払拭出来なかったのである。

 

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展示の一部その1


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展示の一部その2


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展示の一部その3

 

最後に選んだのは、自然と歴史に関する博物館。ここには、考古学的遺物や生き物の標本が多く展示されていて、最も満足感のある博物館であった。しかし、昆虫食が騒がれているこのご時世に、虫が大嫌いで触るどころか見ることすら嫌な筆者は、大量の昆虫の標本を目にして、非常に気持ち悪くなってしまった。またもや、鬱蒼とした気持ちは晴らせなかったのである。私は誓って昆虫食には与しない。

 

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博物館


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謎の石棺


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非常に古代っぽい(アホそう)


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綺麗だ(アホそう)

 

そうこうしているうちに、ある日ついに母からウェスタンユニオンという海外送金システム経由で現金が到着。また、クレジットカード利用枠も少し空いて、10万円にギリギリ届かないぐらいの資金を手にすることが出来た。これにより、ついにサラエヴォでの沈没を終え、旅を再開することが出来るようになった。すぐさま私は、現金を受け取り、ボスニアでやり残した最後のこと、モスタルという街に行くことにした。私は泊まりではなく、日帰りでモスタルを訪れた。行きのバスは朝から乗ろうとしたものの、3時間に1本のバスをちょうど逃したこともあり、バス停で3時間待ちをする羽目になった。しばらく座っていると、とあるアメリカ人の老人に話しかけられた。バス停にはカフェが併設されているため、そこで同じく長時間バスを待つ老人と共に時間を潰すこととなった。彼がボスニアに来た理由は聖地巡礼。もちろん、アキバあたりでブヒブヒ言ってる萌え豚共のような聖地巡礼ではない。ボスニア・ヘルツェゴビナにはメジュゴリエというカトリックの聖地がある。この地では、聖母マリアがよく発見されるなかなか胡散臭い都市伝説のようなものがあり、カトリックの聖地となっているのだ。そしてここを目指すその老人は、もちろん熱心なカトリック信者。私は、カフェでオランジーナを飲みながら、その老人からひたすら謎の宗教講義を受けていた。そうこうしているうちにバスの時間となり、老人とは別れた。割と無神論者の筆者には何も響かなかったようだ。数時間バスに揺られると、モスタルに到着。この街は、世界遺産に登録されており、有名な橋(スターリ・モスト)を挟んでオスマン帝国風建築の地区とキリスト教建築の地区に分かれている。しかしその宗教的複雑性から、内戦時には橋が壊された。現在では、この橋は復旧され、平和の象徴とされている。この街は旧市街の一部を除くと、正直ほとんどやることがなく、日帰りで十分な場所であった。この街には、至る所に内戦の痕が残されており、ただの綺麗な場所というだけではない。しかし、そんな街でもクレイジーな人は沢山いる。スターリ・モストの下には、川が流れているのだが、この橋はかなり高い位置にあり、格好の飛び込み場所となっている。なにやら、毎年ジャンプ大会が開かれていると聞いた。そして、橋の上にはストリートパフォーマーのノリで飛び込みを行う輩が数人いた。彼らは、寄付を募り、一定額が集まれば、橋から川に飛び込むという、なんとも言えない方法で金を稼いでいた。そんな色んなものが入り交じるクレイジーな街での散策は意外とすんなり終わったため、朝のバスを逃して到着が遅くなったものの、特に問題なく観光を終えることが出来た。

 

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モスタルの謎の建物


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内戦の痕


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スターリ・モスト


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とんでもないとこにある建物


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スターリ・モストの上


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スターリ・モストからの風景


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トルコ風建築


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入り組んだ街からの風景


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教会


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内戦への戒め


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旧市街の様子

 

観光を終えた私はバス停に向かい、バスでサラエヴォに戻ることにした。バスで十分の隣には、ボスニア人の中年男性が座った。彼は私に話しかけ、いくらか世間話をした。彼は、私に日本の札を持っているか聞いてきた。彼は、息子に見せるため、日本のお札を私から買い取りたかったそうだ。しかし、札は全てドバイで換金してしまったため、持ち合わせていなかった。彼が出会ったのは極東乞食であり、運が悪かったのだ。そんな彼は、そんな私にも優しく接してくれ、途中止まったインターチェンジのような場所で、巨大スルメみたいな謎の食べ物を私に買ってくれたのだ。本当にボスニアの人々は優しい。そしてサラエヴォに到着し、彼と別れた後に無事帰宅した。そしてボスニアでの最後の日々を迎えた私を待っていたものとは........

 

次回、ボスニア・ヘルツェゴビナ編最終回

 

                                                      to be continued.....