華麗なる海外逃亡記

1年半、41ヶ国にも及ぶ(現在進行形)、自分のバックパッカーとしての記録を記した雑記です。

第22話 疲労 ~衝撃的な山登りと衝撃的な寝床~

 街の散策に出かけることにした私は、まず入り口の脇にある壁に登ってみることにした。あまり高くはないものの、しっかりと城壁の外を見渡せる。ここは狭く、7月のコトルはゴリゴリのオンシーズンだったので、非常に混むはずだったのだが、当時は新型コロナウイルスによるパンデミック真っ只中であり、あまり人も多くなく、スムーズに散策が出来た。狭い道を通って石の階段を上ると、城壁の上に出て、旧市街の外の街と海を見渡すことが出来た。壁の中と外では景色が大きく異なるのも、コトルの特徴の一つである。

 

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城壁の階段の下


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壁の上


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東京のロシア大使館前の警備員の入るスペースみたいな場所(絶対に伝わらない)


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壁の上から見る旧市街の外

 

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みなとまちー(ハウルの動く城より)

 

次に私は、旧市街の内部をくまなく散策するために、入り口とは逆の方向に向かった。石のトンネルをくぐって進んでいくと、水飲み場のある広場に到着。私は、日本で水道水を絶対に飲めない男なので、水には非常にうるさいのだが、この水飲み場の水は普通に飲めた。それ故に、コトルではボトルを持っている限り、実質水が無料で手に入ったのだ。後に旅をしていく中で知ったのは、ヨーロッパではちゃんと飲める水飲み場が存在する街が割と多いということであった。

 

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石のトンネル


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石のトンネルその2

 

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水飲み場のある広場

 

さらに進むと、いくつかの教会やオシャレなカフェ、お土産屋さんなどがあった。

 

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巨大な教会を裏から撮影

 

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なかなかよい教会

 

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オシャレカフェ


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コトルの小道


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後にイランで大量に見ることとなるペルシャ絨毯


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メインの広場


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オシャレなはずが、コロナで全く人がいないカフェ


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ふぜぇだぜぇ

 

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ふぜぇな別角度


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教会横にあったちっちゃいやつ


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内部


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いかにもキリスト教な感じがする


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中世ヨーロッパを感じる


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後に腐るほど見ることになる系教会内部

 

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バイオハザードの謎解き要素がある仕掛け感


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彫刻が美しい教会


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コトル、ちっちゃい教会まみれ

 

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ポケモン映画のワンシーン感ある建物

 

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コトル旧市街の中心広場の名物、時計塔

 

旧市街を一通り探索し終えると、私は旧市街のもうひとつの出入口に向かうことにした。もうひとつの出入り口は、おそらくそちらが表口なのだろうというような見た目であり、そこにはかつて使われていた小さな大砲なども置かれていた。小さな大砲って、甘くて辛い甘辛感あって、何か変な言葉だ。

 

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もうひとつの出入口


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小型大砲


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出入口前の広場

 

一通り観光を終え、いい時間だったので、夕食を取ろうと思ったのだが、その前に軽く旧市街をさらに細かく散策。すると、旧市街で軍隊(?)のパレードが始まった。典型的なヨーロッパの守衛の格好をした男たちがひたすら街中を演奏&行進。それを追いかける観光客達も行進。滑稽である。そして一通り追いかけ回すと、飽きてきたので、今度こそ食事をすることに。そして、ふと旧市街から見上げると、コトル最大の観光スポットであり、私が次の日に登ろうと決めていた城壁が見えた。下から見ても厳しいことは明白だったのだが、次の日に私は地獄を見ることとなる。城攻めとはいつも困難を伴うものである。

 

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急に始まった行進の様子


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下から見た城壁

 

そして、夕食は旧市街の外の普通のハンバーガーをいただいた。しかし、ここでモンテネグロという国、そしてコトルという街の恐ろしさを知ることとなる。モンテネグロは意外かもしれないが、ユーロを使用している国なので、物価が安いとは言いづらいのである(ユーロという通貨価値のせいで、コソボポルトガルなどのような例外はあるが、そもそも物価がめちゃくちゃ安い国というのは少ない)。また、オンシーズンのコトルでは、リゾートということもあり、さらに付加価値がつき、物価が上がりやすいのだ。モンテネグロに住んでいたセルビア人の友人曰く、ヨーロッパで1番醜い首都と呼ばれているポドゴリツァでは、物価は安いそうだ(筆者は何も無いとわかっていたので、ポドゴリツァには行かなかった)。そして、食事を終えるとホステルにもどる。階段の横のテーブルでは猫が寝ていた。

 

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普通のハンバーガ

 

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ホステルの猫

 

ホステルに戻ると、またもフェルナンドとスコットランドニキ達に遭遇。夜のコトルを軽く散策し、カフェでコーヒーを飲む。そして、開催中であったEURO2020を街のテレビで観戦するという、極めてリラックス出来る夜を過ごした。やはり、スコットランドニキ達は何を言っているか分かりにくかったが、イタリアのマンチーニが良い監督であるという意見が一致した(後にイタリアは優勝)。

 次の日、早朝からコトルの城壁を城攻めに行くことにした私は、城壁の登り口に向かった。早朝のコトルは人がほとんどおらず、観光には最も向いてるように思えた。城壁の登り口は2つあり、片方は有料、もう片方は無料である。なお、降りる際はどちらも無料である。私は、テキトーに探していたら有料の方に行き着き、その時点で既に軽く登っていたこともあり、無料の方を探すのがめんどくさかったので、8€をお支払いして有料の方を選んだ(今なら意地でも無料の方を探す)。その気になれば、無料の道は簡単に見つかる。いずれにせよ、急な階段をひたすら登っていくと、ところどころにチェックポイントのような場所や小さな教会跡が。それでも遠くに見える頂上をめざして登り続けると、行き着いたのは城壁の突き出した部分。しかし、ここからの道が見つからない。上にまだ何かがあるのが見えるので、そんなワケがないとは思いつつ探し続けると、やっと道を発見。この段階で運動不足ニキにはかなりキツかったのだが、ひたすら登り続ける。かつて、京都の伏見稲荷大社に行った際も、息を切らし、汗だくになりながら登頂したのだが、正直それよりもキツかった。そしてやっとの事で登頂に成功。そこには、何か廃屋のような構造の場所があり、その屋根の部分からは世界遺産コトルの旧市街を一望できる絶景スポットが。また、タイミングがよく、旧市街から教会の鐘の音が聞こえてきて、最高の瞬間を味わえた。しかし、空気の読めない家族連れはふぜぇの欠片もないドローンを飛ばして、撮影していた。時代の波というやつなのだろう。

 

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途中の謎の空間


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途中の教会跡


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教会跡内部


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心霊スポット感


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途中の道から登ってきたルートを見下ろす


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どこも廃れている


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立派な城壁(まだ途中)


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道のりはかなり急である


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行き止まりかと思った突き出た部分


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頂上の廃屋みたいな場所内部


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頂上の廃屋みたいな場所


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頂上からの景色(編集してます)


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頂上にある国旗


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頂上の教会


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頂上から見る旧市街

 

カップルの写真を撮ってやるなどしながら、景色を楽しんでいると、一人の男が近づいてきた。男は私にタバコを渡そうとしてきたが、もちろんゴリゴリに喫煙反対派の私は、断った。彼はウクライナから来たという。彼と軽く会話を交し、一緒に散策をすることになった。私たちは無料の道の方を使って城壁を降りていき、下の水飲み場で喉を潤すと、旧市街のメインっぽい出入口のあたりを散策。私は前日に行ってなかったのだが、こっちの出入口あたりの壁も登れるらしく、軽く登ると、こちらもまた綺麗な景色を楽しめた。

 

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出入り口の壁の上の広場みたいなとこ

 

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壁の上の植え込みが綺麗


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教会(?)


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綺麗である


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壁の上から見下ろす街


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出入口のあたり

 

私たちは次に、コトルの楽しみのひとつである、ビーチに行くことになった。緑っぽいが、近くで見るとなかなか透き通った海のビーチが広がっており、なかなか良かったのだが、問題がひとつ。コトルのビーチは砂ではなく、砂利のため、ビーチサンダルがないと、本当に痛い。これは、海に入ってからもそうで、足が非常に痛かった覚えがある。

 

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ビーチの水


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ビーチの様子

 

ビーチでくつろいだ私たちは、軽く街のカフェでコーヒーを嗜みながら、カフェの屋外のテレビでサッカーを観ることに。また、ここには何らかの弦楽器を弾くパフォーマーがおり、人生でもトップクラスにリラックスした時間を送ることができた。そこで何時間もボーッとした末に、フェルナンドとスコットランドニキ達も混じえて、街のパブに場所を移し、やはりサッカー観戦を楽しんだ。

 

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夜のコトル


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パブ


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ストリートパフォーマー

 

試合も終わり、私とウクライナニキ(名前はキリル)はお先にパブを後にした。キリルはなかなかクレイジーであり(後に自分がすることとは当時は思いもしないのだが)、ビーチでマットを敷いて寝ていた。そこで、彼を寝床のビーチまでお見送りした。彼が寝床の準備をする際に、お手伝いのためにiphoneで手元を照らすと、「誰かが来るから直ぐに消せ」と言われた。アングラである。この時にキリルとは別れたのだが、これが悲しき話であった。彼とはその後も時々連絡を取り合っていた。そして後に、私はウクライナにも行ける場所まで行ったのだが、観光資源の少なさとルートを考慮した上で、後回しにしてしまった。これを今でも私は後悔している。戦争が起きることなど当時は全く予想出来なかったのである。戦争勃発後もしばらくは彼の安否を確認できたのだが、最近は全く連絡が取れない。彼が生存していることと、いち早く終戦を迎えることを心から祈っている。そして次の日、朝一番のバスで私はコトルを去り、アルバニアの首都、ティラナに向けて出発することにした。ティラナにて私を待っていたものとは......

 

次回、肉を食っても肉にはなるな

 

                                           to be continued.......

 

 

第21話 中世 ~踊るコトルと求む5ドル~

 長期間沈没していたサラエヴォを後にした私は、バスに乗りこみ、モンテネグロで最も人気なリゾート、コトルに向かった。バスに乗っている間は寝ることもあれば、ひたすらに外の景色を見てボーっとすることもある。そうして外の景色を見ていると、面白いものを見つけることがある。まずはボスニア・ヘルツェゴビナの田舎の絶景である。基本的にはバスはひたすら山道を行くのだが、ボスニア・ヘルツェゴビナの自然は非常に美しいのだ。

 

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山道の絶景

 

また、次に見つけたものは非常にボスニア・ヘルツェゴビナという国を知る上で重要なものであった。ボスニア・ヘルツェゴビナとは、ボスニアヘルツェゴビナに加えてスルプスカ共和国という3地域によって構成されている国なのだ。サラエヴォがあるのはボスニアモスタルがあるのはヘルツェゴビナである。そしてこのスルプスカ共和国の事実上の首都はバニャ・ルカという場所である。いつか行ってみたいものだ。山道を走り、国境が近づくと、スルプスカ共和国の旗が見えてきた。どう見てもロシア国旗である。ちなみに豆知識としては、スラブ系国家にこの色の国旗が多いのは、この色がパン・スラブ主義を象徴する色だからだそうだ(ソースはYouTube)。

 

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もはやロシアでしかないスルプスカ共和国の旗


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スルプスカ共和国の歴史的建造物


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川が綺麗ですね


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綺麗だ

 

しばらくするとボスニア・ヘルツェゴビナモンテネグロの国境が見えてきた。初めての陸路での国境越え。テンションが上がったのも束の間、コトルがオンシーズンだったことにより、国境が渋滞。1時間以上もバス車内で待たされるだけの地獄に、私のテンションはダダ下がりした。そしてついに越境。バスから荷物共々下ろされ、窓口で一人一人パスポートチェックを受ける。乗客全員が終わるまで待ってバスに乗る。それだけの事であった。

 

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国境のオフィス


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ほぼただの高速道路


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美人国境警備員が多いバルカン半島諸国


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国境脇からの景色(モンテネグロ側)

 

そこからひたすらコトルへ一直線かと思ったのだが、謎の場所に停車することがあり、バス移動に慣れていなかった当時の私は、本当にコトルに向かうのか心配になり、近くに座っていたカップルに聞くと、コトルには行くとの事だったので、安心して眠りに落ちた。しばらくすると、カップルがコトルに着きそうとの事で、起こしてくれた。海が見えてきて、モンテネグロに来たんだなーと実感した。バスターミナルに到着するとスグ横にあるキオスクで何も考えずにSIMカードを購入したのだが、今なら絶対にこんなことはしない。奇跡的にも元を取れることになるのだが(理由はかなり先で描くことになる)、本来こんなに滞在期間の短い国では絶対にSIMカードを買うべきではないのだ。旅慣れの無さとは怖いものだ。いずれにせよ、予約していたホステルのあるコトル旧市街へ向かう。しばらく歩くと何やら城壁が見えてきた。山と海と堀に囲まれた鉄壁の城塞都市。入口はたった2つ(記憶が正しければ)。なんて厨二病心をくすぐる街なのだろう。

 

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堀と壁


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山は基本的に日本と比べて緑が少ない


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1つ目の入口


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堀を形成する海がいい感じ


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沖にあるふぜぇな教会(ヴェネツィアっぽい)

 

この時の私はバカすぎたのと、イカれた量の教科書のせいでキャリーバッグを引くことになっていたのだが、この弊害がここで私を襲った。そう、こういう類の中世都市は石畳が基本なので、キャリーバッグを引くには全く適さない環境であり、とんでもないガタガタ音を生み、多大な労力をかけることでようやくカバンが引けるのである。中世都市に行きたい旅行者は注意してくだされ。いずれにせよ、狭いゲートをくぐると、ひたすら中世感漂う狭い道が続き、RPGのような世界を体験出来る、そんな場所なのである。しばらく歩くと、宿泊するホステルを発見。なかなか急な石の階段を昇っていくのだが、もちろんエレベーターなんてものは無く、ひたすら大量のカバンを抱えて昇る。壁面も石でできており、非常にいい雰囲気である。謎のモナリザのパロディーアートなどもありつつ、部屋に着くと、部屋は至って普通のホステルであった。荷物を置くと、1回のレセプションで少しリサーチをしながら休憩。すると、一人の男が話しかけてきた。フェルナンドという男で、メキシコ人ながら現在はドバイ在住という事だったのだが、その理由が驚きのものであった。彼はなんと、エミレーツ航空でフライトアテンダントをしているのだ。しばらくたわいもない話をしていると、スコットランド人の2人組が合流。彼らはマジで何言ってるのか分からんかったので、最低でも1回は聞き返していた。スコティッシュイングリッシュ、恐るべし。それをフェルナンドに伝えると、慣れないとあれは無理とのこと。安心した。しばらく彼らと談笑を楽しむと、私は街の散策に出かけた。小さな城塞都市での悲しい出会いとは?

 

次回、世界遺産の街コトルの絶景

 

                                                   to be continued.......

第20話 宴会 ~長い沈没生活との別れ~

 モスタルへの日帰り旅行を終え、遂にボスニア・ヘルツェゴビナでの目的を全て果たした私は、最後の数日間を過ごすこととなった。まずは、オクタイ(サラエヴォ在住イラン人の友人)との約束を果たすため、サラエヴォにある日本食料理店に行くことになった。彼は、その日本食料理店がいい店だと言うので、私は気になっていたので、一緒に行こうということになっていたのだ。名前はズバリKimono。チープな日本庭園かのような見た目の店であり、内装は極めて少し和風テイストながらも中華料理屋と西洋のバーを合わせたかのような、いかにも海外の日本料理店といった場所であった。そして、店員の女性がメニューを運んでくる。この店員さん、西洋人がイメージする日本的服装をしており、それに合わせてなのか、髪型は阿佐ヶ谷姉妹もビックリの綺麗なおカッパであった。

 

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店員さんのイメージ図

 

 メニューを見ると、和食のほとんどが寿司か天ぷら。もちろん寿司というのも、ほとんどの場合カリフォルニアロールのような、おおよそ寿司とも認めたくない代物ばかりであった。これは、イタリア人がパスタにケチャップをぶち込むとキレるのと同じである。ちなみに、メニューについて更に詳細な事を記述すると、おおよそ日本食ではない日本食だけでなく、しまいにはパスタやチーズケーキなどが混在する始末で、もはや日本食レストランとは?といった感じであった。そんなこともありつつ、メニューの中では安く、ギリギリ和食として許容出来るものであったMaki(普通の鉄火巻とサーモンの巻寿司のこと)を注文。飲み物は、もちろん恋しい日本を思い出すため、緑茶を注文。これが間違いであったことを、この時の私は知る由もなかった。会話をしていると、しばらくして注文が到着。まずは緑茶で喉を潤すことに。そして、軽く緑茶を啜った私は驚いた。そう、この緑茶、日本の緑茶とは大きく味の異なる、インディアングリーンティーだったのだ。まさかのドバイのビリヤニレストランでの出来事の再来である。仮にも日本食レストランを名乗る以上、最低でも静岡あたりのお茶を置いていてほしかった。気を取り直して鉄火巻へ。うん、味は普通。ただし、さすがほとんど海がないボスニア・ヘルツェゴビナといったところだろうか。マグロやサーモンがほとんど入っておらず、ただの丸めた酢飯を海苔で巻いたものを醤油につけて食べただけというのが正直な感想だ。これ以来、海外の日本料理店を信用しなくなり、絶対に日本料理店には行かなくなった(2023年3月現在)。

 

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当時の巻寿司と緑茶

 

そうして店を出て、ショッピングモール前のジェラートを食べたところでオクタイとは別れた。うん、なかなか良い奴だったよ。

 次はムスタファ(3人のモロッコ人の1人)と合うことに。ムスタファとはまずカフェで合流。他のふたりはモロッコに行ってしまったと言っていた。その2人のうち、ザカリアから私に餞別の贈り物を受け取った。贈り物は3つ。1つ目は、ペルシャ絨毯柄の小物入れ。これは気に入っており、現在でもコインケースとして使用している。2つ目は数珠。これは部屋に飾っている。3つめは、なんとトラサルディの香水。Amazonで確認したところ、1万円近くする代物であった。ザカリアにはひたすら感謝である。

 

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当時のギフト達

 

そして、しばらくしてから、私とムスタファは少し離れた場所にあるクソデカモスクで大勢の人たちと礼拝をすることに。中東のでかいモスクでの礼拝を思わせる規模感に、私は圧倒された。そしてその後、ムスタファの友人と合流。オーストラリア出身の彼は、近くのステーキハウスでランチをご馳走してくれると言った。行きの車内にて、英訳のコーランをもらったのだが、彼の子どもに一部食い荒らされた形跡があった。いずれにせよ、ステーキハウスに到着。久しぶりのクソデカステーキに興奮を隠しきれない極東乞食。味の方は、正直言うと日本の牛肉の足元にも及んでいなかったのだが、非常に満足であった。人の金で食う焼肉と同様、人の金で食うステーキは美味いのである。そして食後、ムスタファとも別れを告げた。

 

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当時のステーキ

 

次に、衝撃的な出来事について描く。ある日、サラエヴォでは珍しいマクドナルドに座ってハンバーガーを食べていると、突然一人の女の子と中年女性が私の元に近寄ってきた。中年女性が口を開くと言った言葉が衝撃であった。「Do you have Instagram?」は?一瞬頭が真っ白になりながらも、インスタぐらいなら個人情報という程でもないし、いいかと思い、アカウントを教えた。すると2人はすぐさま退散。女の子に至っては一言も口を開かなかった。何だったのだろうと思いながらもマクドナルドを完食。近場の戦没者の墓場でお参りをしていた頃だ。インスタグラムに1件のメッセージ。送り主は先程の女の子。私の顔がタイプだったらしく、インスタグラムを聞いてきたのだが、シャイだったため話しかけられなかったとのこと。彼女はトゥズラという街から叔母と共にサラエヴォに来ていたとの事だった。その後、メッセージで軽くやり取りをしたものの、特に何があったわけではない。オチが面白くないと思ったやつは、今すぐ立ち去ってください。いや、やっぱり読んで。

 そしてボスニア・ヘルツェゴビナでの最後の夜、忙しいにもかかわらず、エディンが鍵を受け取るために、アパートまで来てくれた。彼は疲れ切っていたようで、到着するやいなや、秒速で寝落ち。私は次の日の早朝にモンテネグロのコトル行きのバスを予約していたため、早く夕食を済ませ、寝ようと思い、まずは最後の別れを告げに、サラエヴォで私が通いつめた、お気に入りのイタリアンレストランを訪れた。もう慣れきったものの、いつも通り美味しい格安ピザ。ひたすら感謝の念を込めながら完食し、最後の帰り道を帰っていた。すると、偶然先日のパーティーで会った2人に遭遇。彼らは、彼らの友人のホステルでのパーティーに向かう途中だったのだ。彼らは私を招待してくれた。到着すると、まだ誰もおらず、小さいホステルのバルコニーで目の前にある路面電車の線路を見下ろしながらコーラを飲んだ。しばらくすると、ぞろぞろと人が集まり、気がついた頃には10人ほどになっていた。本当に、バルカン半島のパーティーは、どこから人が湧いてくるのだろうか。人が一通り集まると、1人1曲セレクトして、街の中心にあるにもかかわらず、夜中に音楽を爆音で流すということになった。そういうのが嫌だったノリの悪い私は、自分の番になった瞬間、トイレと言って逃走。極めてさもしい男だ。また、音楽爆音では飽き足らず、ミラーボールまで出てくる始末。ミラーボールなんてなんで自宅で持ってるんだろう。ヴィレッジヴァンガードドン・キホーテでしか見たことがない。そして、爆音の音楽の中、2人の女性にダンスというものを教えられた。小学生時代、運動会のダンスですら無気力だった私に、ダンスを教えてきたのだ。うーむ、こういうヨーロピアンカルチャーには慣れる気がしない。そして、朝方になってようやく皆が帰ることに。私も、早く帰らねば、早朝のバスに間に合わないということで、帰宅することにした。サラエヴォ最後の夜にふさわしく、素晴らしい夜になった。帰宅途中、パーティーに参加していたフィンランド人の肥満ニキが、私にダンスを教えてくれた2人の女性に対してガッツリセクハラ地味たナンパをしていた。上手く流された彼は、教会の横で立ちションをし出すなど、極めて酔っぱっていた。あーいうのに絡まれる女性は大変であろう。皆と別れ、帰宅した私はすぐさま準備をし、最後の別れをするべく、パンイチで爆睡していたエディンを起こした。彼には本当にお世話になった。命の恩人である。そして、私は長く居座ったサラエヴォの街に別れを告げ、モンテネグロのコトル行きのバスに乗り込んだ。美しき中世都市で私を待っていたものとは.........

 

次回、伏見稲荷神社よりも厳しい要塞

 

                                                   to be continued........

 

 

第19話 歓喜 ~沈没の終焉と旅の再開~

 サラエヴォですっかり沈没しきっていた私は、何もしないのではつまらないので、サラエヴォ市内の博物館や美術館を回ることにした。まずは、ラテン橋の近くにある第1次世界大戦関連の博物館。ここには第1次世界大戦時の様々な物があったのだが、意外と暗い雰囲気がなく、それもそのはず、戦争を感じさせる物品はほとんど無かったのだ。それ故に、何も知らずに行くと、ただの宮殿であった。

 

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外観もやはり宮殿である


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ホールにあるピアノ


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ホール天井


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当時のオーストリア皇太子夫妻の展示


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中央階段

 

次に、ボスニア内戦に関する博物館に行ったのだが、写真は無い。理由としては、写真として残したいものがなく、非常に鬱蒼とした気持ちになる、非常に不気味な雰囲気の博物館だったからである。とはいえ、行ったことに意義は感じている。学ぶべきものを学んだという感じである。そうした鬱蒼とした感情を払拭すべく、次に選んだのはトリックアートミュージアム。様々な展示を楽しんでいると、少しずつ気持ち悪くなってきた。しまいには、段差に躓いてでかい音を立ててしまい、家族連れの客に笑われてしまった。さらに、全体的に誰かと協力して面白い写真を撮ることを前提としたレイアウトの美術館だったため、極東ぼっちにはかなり不向きな場所であった。鬱蒼な気持ちは払拭出来なかったのである。

 

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展示の一部その1


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展示の一部その2


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展示の一部その3

 

最後に選んだのは、自然と歴史に関する博物館。ここには、考古学的遺物や生き物の標本が多く展示されていて、最も満足感のある博物館であった。しかし、昆虫食が騒がれているこのご時世に、虫が大嫌いで触るどころか見ることすら嫌な筆者は、大量の昆虫の標本を目にして、非常に気持ち悪くなってしまった。またもや、鬱蒼とした気持ちは晴らせなかったのである。私は誓って昆虫食には与しない。

 

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博物館


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謎の石棺


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非常に古代っぽい(アホそう)


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綺麗だ(アホそう)

 

そうこうしているうちに、ある日ついに母からウェスタンユニオンという海外送金システム経由で現金が到着。また、クレジットカード利用枠も少し空いて、10万円にギリギリ届かないぐらいの資金を手にすることが出来た。これにより、ついにサラエヴォでの沈没を終え、旅を再開することが出来るようになった。すぐさま私は、現金を受け取り、ボスニアでやり残した最後のこと、モスタルという街に行くことにした。私は泊まりではなく、日帰りでモスタルを訪れた。行きのバスは朝から乗ろうとしたものの、3時間に1本のバスをちょうど逃したこともあり、バス停で3時間待ちをする羽目になった。しばらく座っていると、とあるアメリカ人の老人に話しかけられた。バス停にはカフェが併設されているため、そこで同じく長時間バスを待つ老人と共に時間を潰すこととなった。彼がボスニアに来た理由は聖地巡礼。もちろん、アキバあたりでブヒブヒ言ってる萌え豚共のような聖地巡礼ではない。ボスニア・ヘルツェゴビナにはメジュゴリエというカトリックの聖地がある。この地では、聖母マリアがよく発見されるなかなか胡散臭い都市伝説のようなものがあり、カトリックの聖地となっているのだ。そしてここを目指すその老人は、もちろん熱心なカトリック信者。私は、カフェでオランジーナを飲みながら、その老人からひたすら謎の宗教講義を受けていた。そうこうしているうちにバスの時間となり、老人とは別れた。割と無神論者の筆者には何も響かなかったようだ。数時間バスに揺られると、モスタルに到着。この街は、世界遺産に登録されており、有名な橋(スターリ・モスト)を挟んでオスマン帝国風建築の地区とキリスト教建築の地区に分かれている。しかしその宗教的複雑性から、内戦時には橋が壊された。現在では、この橋は復旧され、平和の象徴とされている。この街は旧市街の一部を除くと、正直ほとんどやることがなく、日帰りで十分な場所であった。この街には、至る所に内戦の痕が残されており、ただの綺麗な場所というだけではない。しかし、そんな街でもクレイジーな人は沢山いる。スターリ・モストの下には、川が流れているのだが、この橋はかなり高い位置にあり、格好の飛び込み場所となっている。なにやら、毎年ジャンプ大会が開かれていると聞いた。そして、橋の上にはストリートパフォーマーのノリで飛び込みを行う輩が数人いた。彼らは、寄付を募り、一定額が集まれば、橋から川に飛び込むという、なんとも言えない方法で金を稼いでいた。そんな色んなものが入り交じるクレイジーな街での散策は意外とすんなり終わったため、朝のバスを逃して到着が遅くなったものの、特に問題なく観光を終えることが出来た。

 

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モスタルの謎の建物


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内戦の痕


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スターリ・モスト


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とんでもないとこにある建物


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スターリ・モストの上


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スターリ・モストからの風景


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トルコ風建築


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入り組んだ街からの風景


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教会


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内戦への戒め


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旧市街の様子

 

観光を終えた私はバス停に向かい、バスでサラエヴォに戻ることにした。バスで十分の隣には、ボスニア人の中年男性が座った。彼は私に話しかけ、いくらか世間話をした。彼は、私に日本の札を持っているか聞いてきた。彼は、息子に見せるため、日本のお札を私から買い取りたかったそうだ。しかし、札は全てドバイで換金してしまったため、持ち合わせていなかった。彼が出会ったのは極東乞食であり、運が悪かったのだ。そんな彼は、そんな私にも優しく接してくれ、途中止まったインターチェンジのような場所で、巨大スルメみたいな謎の食べ物を私に買ってくれたのだ。本当にボスニアの人々は優しい。そしてサラエヴォに到着し、彼と別れた後に無事帰宅した。そしてボスニアでの最後の日々を迎えた私を待っていたものとは........

 

次回、ボスニア・ヘルツェゴビナ編最終回

 

                                                      to be continued.....

第18話 過食 ~隠れた観光名所~

その日、家主のエディンは朝に時間を作ってくれた。彼はアパートまで私を迎えに来てくれた。そう、彼は私が友人に会うためにトラヴニクに行きたいと言うと、連れて行ってくれると申し出てくれたのだ。古い小型のプジョーに乗った私は、しばらく車に揺られながらエディンと会話を楽しんだ。彼はよくあくびをするしていた。よほど忙しくて疲れていたのだろう。彼には感謝しかない。しばらく走っていて気づいたのだが、ボスニアの田舎道にはたくさんの墓地がある。恐らく、内線の影響であろう。いずれにせよ、高速道路に乗ったようだった。途中のインターチェンジで彼はストップした。そこで彼は、大量のブレクを買ってくれた。ブレクとは、バルカン半島名物のパンである。ブレクの中でも色々な種類があり、形や中に入ってる物が様々である。形は渦巻き型や筒状のものが連なったもの、四角いものなどがあり、具材としてはチーズはほぼ確実に入っており、牛肉が入ったものやほうれん草が入ったものなどが一般的である。私がそこで食べたのは筒状の牛肉のものであった。

 

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ブレクのショーウインドウ


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美味しかったブレク

 

味はヘビーでシンプルながらも、非常に好みであった。これにより、滞在中に何度もブレクを食べることとなった。いずれにせよ、満腹になった私はボスニアの田舎道を楽しんでいた。

 

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ボスニアの田舎道


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ボスニアの田舎道その2

 

数時間してついに到着。トラヴニク近郊の村に住む友人と合流することに成功した。3人でまずはカフェに行く。会話を楽しみながらコーヒーを啜ったのだが、このカフェの前の景色がとても綺麗だった。

 

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カフェ前の景色

 

この街は水が綺麗だったので、飲めるのかと友人に問うと、綺麗に見えてもバクテリアまみれで飲めないそうだ。どうやら、トラヴニクの辺りには環境破壊ガチ勢の工場があるようなのだ。カフェを出ると、エディンは一足先に帰ってしまった。そこでここからは私と友人の2人で街を散策。友人は様々な場所に連れていってくれた。まずは中心街から川の上流へ。

 

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中心街


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中心街近く


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川の上流の方

 

川の上流の方には小さなお土産物屋が並んでおり、友人は記念にということでマグネットを買ってくれた。そう、ヨーロッパではご当地マグネットがポピュラーなお土産なのである。次は街で最も有名なモスクへ。ここのモスクの壁面には綺麗な花の絵が描かれている。

 

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モスクの水場


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モスク壁面


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モスク入口

 

そこからしばらく坂を上っていくと、城壁がある。その城壁から街の景色を楽しんでいた矢先、突然通り雨が降り出した。というわけで、スグに撤収し、城壁の真ん前にあるカフェで雨宿りすることにした。カフェではドバイぶりの甘いものを摂取するため、オシャレスタイルなバクラバとオランジーナを摂取した。ものすごく甘く、ヘビーだったが、非常に美味しかった。

 

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城壁


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大砲


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城壁への道


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城壁から見る街

 

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オシャレスタイルバクラバとオランジー

 

雨が止んだので、次の場所に向かった。次の場所はイヴォ・アンドリッチ博物館。日本ではあまり有名ではないのだが、イヴォ・アンドリッチというノーベル文学賞受賞者がこのトラヴニク出身だったため、彼の自宅を改装した博物館がここにはある。イヴォ・アンドリッチの遺品だけでなく、ボスニアの伝統的な住宅というものに触れられる、とても落ち着いた場所であった。いや、そうではなかったのかもしれない。というのも、この博物館は一部改装中であり、工事のための騒音が常に鳴り響いていたからである。いずれにせよ、非常に興味深い場所であったことは間違いない。


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イヴォ・アンドリッチの部屋


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日本語版の彼の本


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直筆

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古いヒーターらしい


イヴォ・アンドリッチ博物館の後は、友人がかつて通っていた学校や街の教会を訪れ、ついにこの街最大の名物にたどり着いた。そう、それは絶品チェバプチッチ(以降チェバピ)である。この街はボスニアにおいてはチェバピで有名らしく、非常に美味しい店があるのだという。当たり前のようにチェバピと飲むヨーグルトのセットを注文。もうもはやボスニア人である。朝から大量に食べたので、満腹だったのだが、それでもまだ詰め込む。そしてこの経験がイランで生きてくるのだが、まだそれは後の話.....。ここのチェバピはパンの生地が違う。普通は薄いのに対して、ここのチェバピの生地は厚くてモチモチである。また、ソースとしてニンニクとクリームチーズを混ぜたものが別皿で出される。見た目は完全にバニラアイスなのだが、しっかりニンニク臭がした。ここのチェバピは噂通り、とても美味しく、満腹ながらも胃にぶち込むことが出来た。

 

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街の教会


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友人がかつて通っていた高校


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絶品チェバピ

 

チェバピを食べ終わると、まさかのサプライズ。会計時に、支払いをしてくれただけでなく、帰ってから食べる用にお持ち帰りチェバピを買ってくれたのである。本当に感謝しかない。更にサプライズは続く。店を出て、しばらくしたところにはスイーツショップが。そこでまさかのお持ち帰りでスイーツを購入してくれたのである。あの人は神だ。本当にボスニアという国の人々の懐の深さには頭が下がるばかりである。

 

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糖尿病まっしぐらなスイーツ達(幸せ)

 

さらにさらに、帰りのバスチケットまで購入してくれたのだ。テレビショッピング並のサービスの付け方である。結局この日、私はさんざん楽しんだにもかかわらず、払った金額はゼロ円。みなに世話になりっぱなしの一日であった。次の日、サラエヴォに帰った私が訪れた場所とは.....

 

次回、サラエヴォでお勉強

                                                      to be continued......

 

第17話 爆音 ~酒に溺れなすぎる漢~

 サラエヴォに滞在中、出会ったのはモロッコ人達だけではない。まずはトルコから来た若者3人。彼らとはトルココーヒーを飲んだだけなのでここでは特に話すことは無い。次にカウチサーフィンのハングアウトで会った3人。それぞれボスニア人女性、アメリカ人女性、オランダ人男性という構成。初めはカフェでひたすらおしゃべり。オランダニキがボスニアネキを軽めにナンパしだした。そしてアメリカネキは大学辞めたいという極東乞食に説教をするという地獄じみた様相になってきた。しかしこれはこれで楽しくもあったのである。しばらくすると、店を出て、流れでアメリカネキの自宅に全員で行くことになった。そう、アメリカネキはサラエヴォに住んでいたのである。ネコを愛でるアメリカネキを横目に、出されたスナック菓子をひたすら貪っていた極東乞食。普段あまりジャンキーなものに手を出すことはないのだが、この時はボスニアネキが体に悪そうなアイスクリームみたいな色と柄の部屋着を来ていたからなのか、ジャンキーなものに手を出したくなったのである。

 

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体に悪そうなのアイスクリームのイメージ

 

そんなこんなしていると、何やら近くのパブで集まりが開かれるということが判明。アメリカネキはここでお別れとなり、他の2人と馳せ参じることになった。ここに着くと、最初は数人だったのが、だんだんと人が増えていき、最終的には10人ぐらいというとんでもない数になった。ここでメンバー紹介。一緒に行ったオランダニキとボスニアネキ。この後も当ブログで登場することになる(伏線)イランニキ。DMM英会話で働いているというイギリスニキとその嫁はんのボスニアネキ。イケメンだけど身長があまり高くないフレンドリーなアメリカニキ。ハチミツ(ハニー)みたいな名前だからめちゃくちゃイジられるって嘆いていたエジプトおじさん。どう見てもサッカーのどっかの国の代表でスタメン張ってるゴールキーパーにしか見えない巨大スロベニアニキ。めちゃくちゃ話しかけてきてくれたいい姉御肌、ふっくらモチモチトルコネキ。謎のインドニキとそのパートナーで物静かなオーストリアネキ(コイツらは終始イチャコラしてた)。そこに極東乞食を加えた濃いメンバーであった。他のみんなが酒をすすり、ひたすら明るくなっていった。歌い出すもの、踊り出すもの色々出てきた。しかし、侍はただひたすらコーラを飲み、静かに会話を楽しんでいた。時は経ち、時刻は深夜に。パブは閉店となるため、ここで解散。写真撮影をしてその後どうするかということに。

 

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当時の集合写真に微妙に映り込む侍の霊

 

ほとんどが帰宅する中、イランニキとアメリカニキ、インドニキとオーストリアネキがナイトクラブに行って延長戦を楽しむとのこと。ここに誘われた我らが侍は、馳せ参じることにした。しかし、現金払いオンリーのこのクラブに私は行けなかった。それを伝えると、イランニキが太っ腹なもんで、入場料を出してくれることに。このブログではかなり先にはなるが、イラン人の太っ腹さをさんざん書くことになる。こうして思わぬ乞食を成功させた私は、人生初のナイトクラブに行くことに。私はうるさい所と人が多いところが大嫌いな陰キャなので、ナイトクラブなんてものには縁のない人生だと思っていた。しかし、ここで新たな人生の1歩を踏み出すことにしたのである。とりあえず入場すると、ワンドリンクが貰える仕様だったのだが、貰えるのがビールだった。しかし、極東乞食侍はアルコールとは無縁の人生を送っているため、ノンアルコールを依頼。もらえたものはファンタオレンジ。周りでは大勢の人が飲めや歌えやの大騒ぎを繰り広げる中、侍はひたすらファンタオレンジを飲んで静かに皆を見守っていた。ファンタオレンジ2本はイランニキが奢ってくれた。流石の乞食スキルである。クラブ内ではやはり、日本人が珍しいということもあり、数人の男達が声をかけてくれ、写真撮影などもした。なかなか楽しめたような気がする。その話しかけてきた男たちの中で2人の男は何故か極東乞食侍を気に入ったらしく、「明日もここにいるから、絶対に来いよ」と言ってきてくれた。もちろん、行くことはなかったのだが.....いずれにせよ、そんな賑やかな夜を過ごしたあの経験は一生忘れることはないであろう。

 

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ナイトクラブの様子


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ナイトクラブの様子その2(中央に同行者達)


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ナイトクラブその3

 

その後帰宅して就寝。帰宅途中は本当に人が一人もいない道を恐る恐る歩いていたのだが、特に何も無く無事に帰ることが出来た。サラエヴォは割と治安が良さげなのかもしれない(あくまで個人の肌感覚)。次の日、筆者がエディンと共に向かった場所とは.......

 

次回、友人との出会い

                                                    to be continued........

 

 

第16話 貴重 ~静かなる美声~

 その日もまた例の3人のモロッコ人と共に時間を過ごしていた。まずは、中心街から少し離れた場所にある、落ち着いたカフェで彼らと合流した。私は因縁のトルココーヒーではなく、大人しくエスプレッソを嗜んだ。しかし、エスプレッソというものは、シルバニアファミリーのものかと思うぐらい、ものすごく小さいカップに入っており、ペース配分など知らないドリンクバー育ちの極東乞食は、一瞬で飲み干してしまった。それを見たムスタファは「エスプレッソというものはチビチビ時間をかけて飲むものだよ」と丁寧にご教授してくれた。とりあえず飲み干してしまったものは仕方ないので、水で間を持たせ、彼らとの会話を楽しんだ。そしてその後、私は彼ら3人がシェアハウスをしている自宅に招かれた。道中、彼らからはフランス語を教わったのだが、筆者は大のフランス語嫌い。挑戦したものの、その圧倒的難易度を前にして挫折した経験を持っているのである。そのエスプレッソよりも苦い経験を噛み締めながらも、彼らの家に到着。到着した私は、お茶を頂くことになった。しかし、これが事件の始まりであった。それはミントティーであった。このミントティー、歯磨き粉をお湯にぶち込んだような味がした。筆者は思わず噎せ返るも、オーディエンス共は爆笑。ボコボコにしてやろうかと思ったが、国際問題になりそうなのでやめておいた。お前らはサハラ砂漠に帰りやがれ。そして私を驚愕させる一言が飛び出した。「モロッコではこの倍濃いぞ」。お前らは歯磨き粉を飲み物かなんかと勘違いしてんのか?言葉を失った私は、気合いでミントティーを飲み干した。これで調子を狂わされた私は、普段なら絶対しないミスをしてしまった。彼らが動画を撮り始めたのだが、その内容は私が彼らに簡単な日本語を教えるという内容であった。しかし、記憶力が良すぎるあまりに、友人の記憶の外部メモリーと化してるレベルの私が、そのうち1人の名前を動画内で間違ってしまったのだ。非常に申し訳なかった。いや、あれはミントティーのせいである(他責)。

その後、夕方頃のお祈りに合わせて近くのモスクへ向かうことに。このモスクは中心街のモスクよりも小さなモスクではあったものの、それがまたローカル感を感じさせ、私は好感を覚えた。もう慣れたもので、私は当然かの如くお祈りを終えた。そして、彼らは控え室のような所に私を連れて行ってくれ、そこで体に悪そうな甘ったるいお菓子やコーヒーを出してくれた。そして彼らは、そのモスクを案内してくれた。まずは小さな小部屋。この小部屋は幼い頃の私であれば、絶対に家に欲しがったであろう、秘密基地的な場所であり、イスラム色の強い非常に面白い場所であった。

 

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僕の秘密基地その1


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僕の秘密基地その2

 

その後、彼らは先ほどお祈りをしたメインの場所に私を連れていった。そこは小さいモスクだったこともあり、声がよく響いた。そして、そんな場所でザカリアが貴重な体験をさせてくれた。ザカリアは普段からこのモスクでアザーンを担当しており、非常に綺麗な声を持っていた。彼はコーランの一部をその小さい部屋いっぱいに響く声で読み上げてくれた。神聖なモスクがより神聖に感じられ、非常に良い経験であった。その後、私たちはその部屋の各所で記念撮影。しかし、この撮影においても、とある体験をした。彼らはモスクのお偉いさんしか着用することが出来ないイスラム風特攻服(違う)を着せてくれ、ドラゴンボールのピッコロのような帽子を私に被せた。そして、説教台でお偉いさんの如くドヤ顔をキメ、写真撮影。非常に良い経験であった。

 

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当時の写真(ドヤ顔を隠蔽)

 

さらにその後、彼らは私を一般人立ち入り禁止ゾーンに連れていってくれた。そこはイスラム教徒でさえほとんど立ち入らない場所。そう、ミナレットの内部、及び上部である。ミナレットというのは、モスクに付随している塔のことである。私はそこを登り始めた。細くて急な螺旋階段。私は1番後ろから彼らについて行った。そしてこれは正解であった。最前列を行くザカリアが、蜘蛛の巣や蜘蛛にめちゃくちゃ苦戦しながら登っていることが悲痛な声から感じられた。最後尾ですら、ホコリや蜘蛛の糸に苦しめられているのだ。最前列は地獄であろう。何はともあれ、遂に頂上にたどり着き、狭い見晴台に出る。360度広がるサラエヴォの街に感動を覚える。サラエヴォには高い建物が少なく、夜景を楽しむ場所は少ないため、貴重であった。しかし、スグに問題に直面。照らされたライトに群がってきていた蚊の量が半端ではなく、記念撮影をして直ぐに撤退した。

 

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ミナレットから観るサラエヴォの夜景


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登ったミナレット

 

そこでモスクツアーは終了。私たちは夜ご飯をいただきに、ペカラ(現地の言葉でベーカリーのこと)に行き、ブレクを頬張った。最後に謎の公園で解散したのだが、この謎の公園には、戦車や戦闘機のプロペラなど、軍用車両関係の諸々が無造作に置かれていた。とりあえず記念撮影するも、非常に謎な場所であった。とはいえ、夜だったこともあり、なんとも言えない雰囲気が漂っており、ボスニア・ヘルツェゴビナという戦争とは深く結びついた土地独特の何かが感じられた。

 

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謎の軍用ジー


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都市伝説でおなじみのナチスの黄金列車(大嘘)


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プロペラだけなのが、かえって生々しい


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移動式砲台(?)


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小型戦車


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移動式砲台その2


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シンプル戦車

 

後日、私は様々な国の人々と共に、「絶対に行くことはないであろう」と思っていた場所に行くことに。私に起きた出来事とは......

 

次回、究極の禁酒野郎

                                                     to be continued......