華麗なる海外逃亡記

1年半、41ヶ国にも及ぶ(現在進行形)、自分のバックパッカーとしての記録を記した雑記です。

第21話 中世 ~踊るコトルと求む5ドル~

 長期間沈没していたサラエヴォを後にした私は、バスに乗りこみ、モンテネグロで最も人気なリゾート、コトルに向かった。バスに乗っている間は寝ることもあれば、ひたすらに外の景色を見てボーっとすることもある。そうして外の景色を見ていると、面白いものを見つけることがある。まずはボスニア・ヘルツェゴビナの田舎の絶景である。基本的にはバスはひたすら山道を行くのだが、ボスニア・ヘルツェゴビナの自然は非常に美しいのだ。

 

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山道の絶景

 

また、次に見つけたものは非常にボスニア・ヘルツェゴビナという国を知る上で重要なものであった。ボスニア・ヘルツェゴビナとは、ボスニアヘルツェゴビナに加えてスルプスカ共和国という3地域によって構成されている国なのだ。サラエヴォがあるのはボスニアモスタルがあるのはヘルツェゴビナである。そしてこのスルプスカ共和国の事実上の首都はバニャ・ルカという場所である。いつか行ってみたいものだ。山道を走り、国境が近づくと、スルプスカ共和国の旗が見えてきた。どう見てもロシア国旗である。ちなみに豆知識としては、スラブ系国家にこの色の国旗が多いのは、この色がパン・スラブ主義を象徴する色だからだそうだ(ソースはYouTube)。

 

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もはやロシアでしかないスルプスカ共和国の旗


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スルプスカ共和国の歴史的建造物


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川が綺麗ですね


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綺麗だ

 

しばらくするとボスニア・ヘルツェゴビナモンテネグロの国境が見えてきた。初めての陸路での国境越え。テンションが上がったのも束の間、コトルがオンシーズンだったことにより、国境が渋滞。1時間以上もバス車内で待たされるだけの地獄に、私のテンションはダダ下がりした。そしてついに越境。バスから荷物共々下ろされ、窓口で一人一人パスポートチェックを受ける。乗客全員が終わるまで待ってバスに乗る。それだけの事であった。

 

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国境のオフィス


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ほぼただの高速道路


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美人国境警備員が多いバルカン半島諸国


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国境脇からの景色(モンテネグロ側)

 

そこからひたすらコトルへ一直線かと思ったのだが、謎の場所に停車することがあり、バス移動に慣れていなかった当時の私は、本当にコトルに向かうのか心配になり、近くに座っていたカップルに聞くと、コトルには行くとの事だったので、安心して眠りに落ちた。しばらくすると、カップルがコトルに着きそうとの事で、起こしてくれた。海が見えてきて、モンテネグロに来たんだなーと実感した。バスターミナルに到着するとスグ横にあるキオスクで何も考えずにSIMカードを購入したのだが、今なら絶対にこんなことはしない。奇跡的にも元を取れることになるのだが(理由はかなり先で描くことになる)、本来こんなに滞在期間の短い国では絶対にSIMカードを買うべきではないのだ。旅慣れの無さとは怖いものだ。いずれにせよ、予約していたホステルのあるコトル旧市街へ向かう。しばらく歩くと何やら城壁が見えてきた。山と海と堀に囲まれた鉄壁の城塞都市。入口はたった2つ(記憶が正しければ)。なんて厨二病心をくすぐる街なのだろう。

 

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堀と壁


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山は基本的に日本と比べて緑が少ない


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1つ目の入口


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堀を形成する海がいい感じ


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沖にあるふぜぇな教会(ヴェネツィアっぽい)

 

この時の私はバカすぎたのと、イカれた量の教科書のせいでキャリーバッグを引くことになっていたのだが、この弊害がここで私を襲った。そう、こういう類の中世都市は石畳が基本なので、キャリーバッグを引くには全く適さない環境であり、とんでもないガタガタ音を生み、多大な労力をかけることでようやくカバンが引けるのである。中世都市に行きたい旅行者は注意してくだされ。いずれにせよ、狭いゲートをくぐると、ひたすら中世感漂う狭い道が続き、RPGのような世界を体験出来る、そんな場所なのである。しばらく歩くと、宿泊するホステルを発見。なかなか急な石の階段を昇っていくのだが、もちろんエレベーターなんてものは無く、ひたすら大量のカバンを抱えて昇る。壁面も石でできており、非常にいい雰囲気である。謎のモナリザのパロディーアートなどもありつつ、部屋に着くと、部屋は至って普通のホステルであった。荷物を置くと、1回のレセプションで少しリサーチをしながら休憩。すると、一人の男が話しかけてきた。フェルナンドという男で、メキシコ人ながら現在はドバイ在住という事だったのだが、その理由が驚きのものであった。彼はなんと、エミレーツ航空でフライトアテンダントをしているのだ。しばらくたわいもない話をしていると、スコットランド人の2人組が合流。彼らはマジで何言ってるのか分からんかったので、最低でも1回は聞き返していた。スコティッシュイングリッシュ、恐るべし。それをフェルナンドに伝えると、慣れないとあれは無理とのこと。安心した。しばらく彼らと談笑を楽しむと、私は街の散策に出かけた。小さな城塞都市での悲しい出会いとは?

 

次回、世界遺産の街コトルの絶景

 

                                                   to be continued.......