2022-01-01から1年間の記事一覧
サラエヴォでの観光を一通り終えた私は、暇を持て余すはずであった。というのも、私は極めてせっかちなので、本来であればすぐさま次の街へ移るというのが私のすることなのであるが、当時の私には2つの行きたい街があった。ひとつが友人の住む街、トラヴニク…
ボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエヴォでの観光を始めた私は、まず宿の目の前にある川沿いをラテン橋まで歩くことにした。その日は天気も良く、初めてのヨーロッパの街並みの中、美しい川沿いを歩いた。サラエヴォは面白い街であり、ヨーロピアンな街…
ドバイのLCCであるフライドバイのフライトに搭乗した私は、離陸してすぐに面白い形の島を見つけた。綺麗な三日月形の島である。また、ドバイの上空からですらブルジュ・ハリファは見ることが出来た。 三日月形の島 フライドバイの機内食 しかし、そんな折に…
実質的にドバイでの最終日を迎えた私は、まずは次の日のフライトに備えてPCR検査を受けに滞在していた場所にほど近いエミレーツモールというショッピングモールに行くことに。予約時に様々な登録などが必要だったのだが、そのせいで今でもたまにそのアドレス…
その日の私は、夜にブルジュ・ハリファへの登頂(大袈裟)とドバイ・ファウンテンでの水上ウォークを控えていたものの、日中にはジュメイラモスクという、ドバイで最も美しいと言われるモスクに行く以外に予定がなかった。そこで、昼まで寝てからジュメイラモ…
ホステルでのチェックアウトを済ませた私は、その日からしばらく泊めてもらうことになっていたホストの家に到着した。彼の家はエミレーツモールという巨大ショッピングモール近くのマンションの9階の一室にあった。彼の名はライド。ヨルダン出身ながら、長ら…
ホステルでの支払いを終えた私は、正直少しだけ不安であった。というのも、バックパッカー経験が無かったことから、旅行で宿泊=ホテルであったので、ホステルという何人もの人との共同部屋がストレスになると感じていたのである。そのホステルの経営をして…
再び宿探し難民となった私は、前日のようにカウチサーフィンで乱れ打ちをしつつ、観光をしながら待つことにした。まずはシャルジャからタクシーでパームジュメイラへ。アンディと行けなかったパームジュメイラのビーチに行くため、タクシーの運転手にパーム…
3日目の朝を迎えた私は、早速観光とともに、重要な任務を遂行するために、オールドドバイに向かった。オールドドバイには、アラビアンな雰囲気の建物や、スークと呼ばれる中東の市場がある。ここで、私の重要な任務についてだが、これは極めてクレイジーなア…
ドバイ中心街から人工島、パームジュメイラに渡るため、私とアンディは電車を乗り継いだ。パームジュメイラの綺麗さとリッチさを知るには、上空から見下ろす他ないのだが、この人工島はその名の通りヤシの木の形をした島であり、そこにはウォーターパークや…
2日目の朝を迎えた私は、その日もアンディと散策を進めるべく、とある駅にて彼と合流した。とある駅というのは、数あるドバイで有名なショッピングモールの中で、私が最も行きたかった場所の前にある駅である。そのショッピングモールとは、イブン・バットゥ…
夕方頃にアンディと別れ、ドバイモールをあとにした私が向かったのは、ブルジュ・ハリファである。ブルジュ・ハリファとは面白い建物なもので、どこからでも(飛行機からでさえも)見えるような建物なのだが、そこに到達することは容易ではない。実際に、アン…
世界一の巨大ショッピングモール、ドバイモールに到着した私とアンディは、とりあえず探索を始めたのだが、この時私はまだSIMカード問題と格闘していた。そして、アンディと共にドバイモールを物色しながら、GoogleでSIMカードについて調べるという圧倒的マ…
ドバイ国際空港に降り立った私に話しかけてきたその男は日本人であった。今となっては、旅の途中に日本人を見ると、旅をしている感が薄れるため、私は露骨にテンションを落とすのだが、当時は初めての孤独の海外旅行ということもあって、日本人と話せること…
その日、初めての成田空港に降り立った私は10年振りの海外旅行という名の現実からの「逃避行動」に胸を踊らせていた。当時の私にとって、海外経験と呼べるようなものは9歳の時に家族旅行で1週間滞在したグアムでの思い出だけであった。そこでの経験が、英語…
今、私は途方に暮れている。全ての始まりは1年半前。振り返れば、何でもない日常の出来事であったのだが、あれから自分の人生は良くか悪くか大きく変わってしまったのである。 2021年4月末の某日。その日、私は都内の某有名コーヒーチェーン店の面接に落ちた…