華麗なる海外逃亡記

1年半、41ヶ国にも及ぶ(現在進行形)、自分のバックパッカーとしての記録を記した雑記です。

第1話 逃亡 ~別世界との遭遇~

 その日、初めての成田空港に降り立った私は10年振りの海外旅行という名の現実からの「逃避行動」に胸を踊らせていた。当時の私にとって、海外経験と呼べるようなものは9歳の時に家族旅行で1週間滞在したグアムでの思い出だけであった。そこでの経験が、英語を話したいと思うようになったキッカケであったのだが、少年時代の私自身、10年後には英語話者になっており、1人で異国の地に出かけるなんてことは微塵も思っていなかった。というのも、少年時代の私は、ただひたすらサッカーで生計を立てることばかりを考えていたからである。

当時の自分のイメージ図(なお当時のポジションはFW)

今思えば、あの夢が終わったその日から目標を失って、厳しい現実に直面する中で、少しずつ逃避願望を醸成していったのかもしれない。

 旅を始めた当時、大学の授業が主にオンライン授業であった私は、教科書を持って行く必要があった(後に教科書を持っていかなくてもよかったことに気づいたのだが)。それにもかかわらず、教科書がただの鈍器でしかないようなものであり、数も多かったため、まさかのバックパッカーのくせにバックパックをひとつ教科書だけで潰す羽目になってしまった。

当時持って行った教科書

そして荷造りを終えた私は電車を乗り継ぎ2時間かけて22時の便に間に合うように成田空港へ向かったのだが、海外旅行経験の浅かった私は、22時の便に乗っても機内での夕食が提供されないと思っていた。それ故に、私は乗り換えのために降りた中延駅周辺にて夕食を食べて備えることにした。そこで選んだのは、長い海外生活で恋しくなることが予想されたラーメンであった。入るやいなや、豚骨ラーメンを注文し、2度の替え玉をして店を出たのだが、このラーメン屋、今まで行った中でトップクラスで不味いラーメン屋であった。オブラートに包むことなくもう一度言うが、「今まで行った中でトップクラスに不味いラーメン屋」であった(故に画像は無い)。そして、この判断は後に後悔の種となることを、この時の私は知る由もなかった。

 そんなこんなで成田空港に到着した私は、事前に取得しておいたPCR検査の陰性証明書を提出し終えてチェックインを無事に完了させ、免税店を冷やかしに行こうとするも、当時は新型コロナウイルスの影響で免税店も全て閉まっており、ただ何をするでもなく、全く需要のないインスタライブをして時間を潰しました。そして無事飛行機に搭乗した1時間後に事件が起きます。なんと、機内食が提供されたのです。ここに来て、あの不味いラーメン屋が私を苦しめる事となります。幸い私は大食らいなので、普通に完食しましたが、エミレーツ航空のホスピタリティはそんなもんじゃありませんでした。飲み物だけでなく、間髪入れずに何度もスナック菓子やチョコレートを提供して下さったのです。断ればよかっただろうと思うかもしれませんが、差し出された食べ物を断るような無作法を犯すことは出来ません(食べたかっただけ)。

           機内食その1

              機内食その2

 

 お腹がパンパンの中、さらなる事件が起きます。飛行機が揺れることがあるのは分かっていたのですが、その時のそれは尋常ではありませんでした。冗談抜きで体が5センチ浮き上がるほどに揺れることもあり、自分の旅は始まる前に終わってしまうのかと思いました。ハプニング以外に目を向けると、カルカッタや上海の夜景を飛行機から見るのは綺麗だったのですが、それと同時に他の光のない地域との格差という社会における光と闇を見たような気がしました。これはこれからの旅で常々付きまとってくるひとつの「呪い」のようなものなのですが、それはまた別のお話。そんなこんなあったものの、現地時間の早朝5時か6時ぐらいに無事ドバイの空港に到着しました。そして荷物をピックアップして旅を始めようとした私はある1人の男に話しかけられるのでした。

                                                      to be continued....